「メシアンより刺激的だった青春のために」アッシジのフランチェスコ全曲(びわ湖ホール、演奏会形式)
11月23日びわ湖ホール「アッシジのフランチェスコ」の全曲、演奏会形式での上演へ、全曲は日本で初演とのこと。通常びわ湖ホールは土日休日公演は14時開演だけれど、この日は13時開演。長い曲だとの認識しかない私には、それで十分な情報であって。プログラム貰って、必死にアラスジなりを1回読んでは、思い出し2回読んでは思い出し、わからん部分を3回目、トイレの間にもパラパラプログラムをめくりなんとかしのげたかなと。
この作品で知っていることは、パリでの初演が小澤さん指揮で、その公演の後の夕食会にダイアナ妃も来ていて、それなのに小澤さんとメシアンで、ギャンブルの話で盛り上がっていたら、ダイアナ妃に、こんな神聖な作品の後でアンタラはって叱られたってことを弟の幹夫さんが本にしてたのを読んで知っているくらいで、それだから神聖な内容なんだろうってことくらいだったけれど。
(終演は15分おしての18時45分でした)
さて演奏は読売日響で、歌もこの後東京公演があるくらいなので、みんな凄くて、最前列で見上げて聞いていた私にとっても凄く楽しめる内容だったと。
ただ、これは本当に個人的な感情なのだけれど、曲は、場面場面を物語でなく繋いでいる感じの造りあり、神職者の物語だからそれでも言葉はなんとなく物語になっているけれど音楽はそれなりに速さがないと、それが繋がらない感じがして。
多分指揮者のカンブルランさんは、メシアンの作品を数多く指揮していて、掘り下げて知っているだろうけれど、それだけ知っているということは年齢も重ねているということだし、年齢による動作の遅さと理解によりこだわりと、それに加えてオケがいわば日本の一流なので、それに応えすぎてしまって、少しだけれど遅くなって、その分前に進む力がなくなってしまっていると私は思った。変な話80年代の小澤さんなんてブッとばすだけブッとばす指揮だったから、場面場面が繋がってしまって、良い演奏になって評価を貰っていたんじゃないのかって思った。
作曲されたことは86年初演で作曲に8年かかったっていうから、つまりは古いものが失われて、新しい価値観がどんどん出てきて、日本人はエコノミックアニマルっていうことが定着していて、たしか80年ころは、「ルーツ」ってテレビ番組がアメリカではヒットして、自分がどこから来たのかってことに必死だったりもしたし、映画はスターウオーズが出てくる前で、社会性や心理や表現やってことをやっていたし、日本でもフォークソングで白秋のうたにメロディーをつけて見たりしていたから、古い残しておきたいものに現代音楽が曲をつけて表現したいっていうのは自然な流れでフランスにもあって、それでこれができたのかなって。
それなら、例えば自分たちが若いころに歌っていた白秋の詩にフォークソングのメロディーの方が遥かに刺激的で素晴らしい気がするし、最後の幕で携帯電話の着信音かと思う音が80年代当時の現代を思わせるものとして入っていたとすると、なにかしらの疑問も感じるし、文化というか残すべきもの残っていくもの伝えられていくものにまではこの曲はなっていないのかなと思った。それと比べたら明日25日にあるアイルランドのチーフタンズの方が文化だし、いつまでもあってほしいし。価値があるのかなと。価値といってもお金ではないけれど。
それから、最後の宗教曲であり、拍手は仕方がないけれど、静かにも終わっており、僕はブラボーっては言えない、タイトルロールが目の前で手を合わせている姿に、田舎者は情けないけれど、ブラボーは言えない。だたそれだけ。
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